茶会記と花会記

かねて茶会記と花会記に関心を持っていました。それはわれわれのやっている個人の庭のオープンガーデンで、見に来て下さるお客様にもっと情報を提供しなければいけないとの思いからでした。

これまでに私が<黒潮丸通信>やブログに書いた記事をまとめておきます。


茶会記とTEAS
華道史
信長の茶会記
河瀬敏郎「花会記」を読む
茶会記の手引き

 

∞∞∞∞茶会記とTEAS∞∞∞∞∞

オープンガーデンで多くのお客様を迎える。
あらかじめ予告の電話のある人もいるし、黙って来て見てゆく人もいる。
案内してもらいたい人もいるし、構われるのは重ったるくて嫌だと言う人もいる。
こちらもじっくり応対する時もあるし、勝手に見ていってくれと思う時もある。
庭めぐりには形がない。

わが伊豆オープンガーデンではTEASに力を入れている。お庭でのお茶とケーキのご接待である。要予約で有料(400円)である。忙しい場合には予約を受けない。
よそのオープンガーデンにはないサービスだと思っている。

ふと茶会記のことを思った。
客。床。釜。香合。花入。茶入。盆。茶碗。茶杓。会席−汁、刺身、めし、煮物、菓子・・。
茶道では大事な記録である。

TEAS記はどうだろう。
客。天気。その日の花。茶。菓子。・・
その日の花の記録が難しい。咲いている花を全部書いたら日が暮れる。花は毎日変わる。どういう項目を選択しようか。
定形にしなければいけない。
これまでゲストに住所・氏名だけを書いてもらったりしたがこれは花会記とは言えない。
花の記録が入ってこそ、主人と客の関わりが残るような気がする。  030708
 

∞∞∞華道史∞∞∞∞∞∞∞

花僧━池坊専応の生涯 澤田ふじ子 
空蝉の花━池坊の異端児・大住院以信 澤田ふじ子 
天涯の花━小説・未生庵一甫 澤田ふじ子 
華術師の伝説━いけばなの文化史 海野弘 
前衛いけばなの時代 三頭谷鷹史 
華日記━昭和生け花戦国史 早坂暁 1
巨億の構造━華道家元の内幕 渡辺一雄 

この2年間に私が読んだ華道界に関する書物である。
ここに並べた順は扱っている時代順である。
「巨億の構造」以外は現在入手可能である。「巨億」は古本で入手した。

ガーデニングやガーデンデザインに関心のある私が華道の本を読んだのは、「茶会記」「立花図」への関心からであった。
年年歳歳花変わらず、歳々年々人同じからず、というが、実は花は変わるのである。庭の花、花壇の花は、その年の種苗の入手や気候や手入れによって種類も咲き具合も異なる。また連作忌避ということもある。ある時の花は、その時だけの花である。

ある客を迎えたオープンガーデンにどんな花が咲いていたか、これは記録すべきではないかと私は思った。
最初に思いついたのは「茶会記」であった。茶会は「茶会記」を残す。
客。床。釜。香合。花入。茶入。盆。茶碗。茶杓。会席−汁、刺身、めし、煮物、菓子・・。
茶道では大事な記録である。
そして「茶会記」から「立花図」に思いが至った。
「茶会記」「立花図」「ガーデン植栽図」はとりあえず置いておいて、これら書物の感想を書いておきたい。     050305

こちら

 

∞∞∞信長の茶会記∞∞∞∞∞∞∞

わが家にある「茶会記百選」(裏千家茶道教科15 淡交社)に、信長が津田宗及を招いた茶会記が出ていた。

天正2年(1574)2月3日  「天王寺屋会記」

堺衆であり本願寺門徒である津田宗及にとって、堺に矢銭を課し石山本願寺を攻めた信長は許すことのできない相手であった。しかし天下の趨勢に抗すべくなく、天正1年に京都での信長の茶会に列席、翌2年信長の本拠岐阜に参賀してようやく寵を得て信長から茶会に招かれたのであった。
会記には道具類から料理に至るまで細かく記されている。中に「紹鴎茄子」という名器がある。これはもと武野紹鴎の所蔵であったが、娘婿の宗久が預かり信長に献じたもので、これにより宗久は千石を拝領したという。その後再び信長から宗久に賜り、秀吉に献じられ、徳川秀忠、東本願寺、河村瑞軒などを経て鴻池家に伝来するという。
花入れは前日宗及が献じた盆であった。

招かれたとはいえ茶をたてるのは宗及である。信長は宗及の点前を見ていて自らは服さず、宗及に賜って宗及が自服したという。

茶会記あるがゆえに、われらは今この光景を瞼に浮かべることが出来る。
「百選」の中には千利休、明智光秀、豊臣秀吉、小堀遠州、松平不昧などの名前も並ぶ。

毎度言う、茶に茶会記あり、花に立花図あり、何ゆえ庭に花会記、植栽図の文化なきや。    050308


∞∞∞川瀬敏郎「花会記」を読む∞∞∞∞∞∞∞
 
花人・川瀬敏郎に「花会記」なる著書のあることを知った。1995年の出版である。
かねて茶に茶会記、花に立花図がありながら、庭に開花図なきを嘆いている私に「花会記」の存在は強い衝撃だった。
早速入手したいと思ったが、定価6500円では気軽に買えない。調べて静岡市立図書館にあることを知り、伊東市図書館を通じて貸出しを申し込んだ。それが3月25日。そして入手したのが5月6日。今時’役所仕事’だってもっと早いぞ。
 
まずは川瀬敏郎のプロフィール
〜〜〜〜〜〜川瀬 敏郎 ホームページより〜〜〜〜〜〜
花人。1948年京都に生まれる。幼少の頃より池坊の花を学ぶ。日本大学芸術学部を卒業後、パリ大学へ留学。演劇、映画を学ぶかたわらヨーロッパ各地を巡る。帰国後、日本の原初のいけばなである「立花(たてはな)」と、千利休により大成された「なげいれ」の形式にもとづき、花をいけることを通して、日本の「肖像」を描くという独自の創作活動を展開。
著書に「花会記」「川瀬敏郎 私の花」「Inspired Flower Arrangements」「今様花伝書」「四季の花手帖T・U」などがある。

  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 
このプロフィールには書かれていないが、川瀬は京都六角堂(池坊発祥の地)の門前の花屋に生まれ、池坊の申し子のような履歴を持つ。そして花人として流派を離れての活動を続けている。
 
川瀬は花を、春夏秋冬四季折々に移ろいゆく自然の精華としての「花」を謳い上げる「花会」を催してこそ、ほんとうに花の心にふれることができるという。
一座を建立する「花会」はその催される「場」の建築や室礼、庭園、花器や掛け物、参集する人々やその衣装、はては天候にいたるまでを取り込んでそのすべてが総合されるところに「花」の美が体現されるという。
添付写真の1がその光景である。ここは京都妙心寺で開かれた「紅葉の会」の花会である。和服姿の名流夫人6人が座を囲んでいる。寺のあちこちを川瀬の活けた花が飾る。
川瀬はこういう花会を選ばれた「場」何ヶ所かで何年か行っていた。ある時白洲正子が招かれ絶賛したことから川瀬の名が大きく知られた。
しかし現在は行っていないという。「お金をとらなかったからやめられた。」と川瀬はいう。それはそうであろう。しかるべき場所で、これだけの花を活け、これだけの人を集めて花会を催してどれだけの費用がかかるものか。それを金をとらずに続けられるわけがない。川瀬の美学に過ぎる。
 
「花会記」はその花会の記録である。
写真があって、川瀬の「覚え書」が付く。
写真は素晴らしい。カメラは大森忠。出版は淡交社。A4よりやや大きいサイズの本である。
そして「覚え書」は解説である。川瀬の文章は辺見庸、藤原新也ばりの美文である。思いのたけを語る。
日時、客名、天候、メニューなどのデータの記入はない。
 
私はこの「覚え書」に川瀬の「花会記」に対する不満を感じた。
批評家も編集者もいない場での詠嘆を綴る美文はいずれ退廃する。
もっとデータを残すべきでないか。
茶会記の研ぎ澄まされた簡素な、しかし項目をすべてはずさない記述は厳しい茶の修行の1つである。そして事実だけのその記録が遥か後代の我々の心に届く。
流派を持たず金をとらずに花会を開く川瀬の美学は、事実の追求においていま一つ洗練のための鍛錬の機会を欠くのではないか。
 
川瀬は池坊の嫡流として立花からなげ入れまでをこなし、その間に位置する「砂の物」にも心を寄せる。
写真の2は立花としての「牡丹」である。現代華壇一方の雄である假屋崎省吾も毎年目黒雅叙園の大舞台で花会をもつが、立花において川瀬に及ばない。
写真の3は沼津大中寺における「野朝顔」で、まさに投げ入れの極であろう。
当然鈴木基一「朝顔屏風図」(メトロポリタン美術館蔵)を意識したと思う。先日の「琳派展」カタログからスキャンした写真を載せる。    050516

 

 

∞∞∞「茶会記の手引き」を読む∞∞∞∞∞∞


「茶会記の手引き」(淡交社)を読んだ。
古い本かと思ったら今年5月の発行である。
編者として「淡交社編集局」とあるだけで著者紹介などないがどうやら三田富子という人が書いているらしい。どういう人か判らない。

私はこれまで茶会記は、茶席の亭主あるいは招かれた客が、その日のお道具など心覚えにしたことを記録したものだと思っていた。
この本を読んで必ずしもそうではないことを知った。
茶会記は茶会の企画書なのであった。
亭主はその日の茶会の目的、顔ぶれによって趣向を考え、道具を組んでいく。
まず掛け物(掛軸)、道具、花、花器、菓子などなど・・。大変な企画なのである。
亭主はこうした組み合わせを紙に書いてみる。推敲する。
この会記が茶会運営のもととなり、シナリオ・台本としてお運びや水屋の人々にも配られる。
こうして全員が心を一つにしてお客様を迎える。

優れた茶会記を作るには(=茶会を催すには)、何十回も自分が茶会を営んでみなければならない。
それだけの知識と道具を持たなければならない。生半可なことではない。

かりに道具は持たないにしても、お茶を点てるために会記をつくる。
これがもてなしの原点である。

〜〜〜〜〜〜
茶会記は企画書であるが、あとで静かに読み返し、その茶会のたたずまいを心に思い出し、いつまでもその感激を持ち続けるためのものでもある。
我々は茶会記を読むことで、500年も昔の茶席の有様を髣髴と目に浮かべることが出来る。

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私が茶会記に関心を持ったのは茶の湯の世界に心入れがあるからではない。
茶の湯に茶会記あり、生け花に立花図あり、ならば「お庭巡り」「お庭拝見」に花会記や植栽図があってしかるべきではないかと思ったからである。
日本におけるオープンガーデンの提唱者の1人として、花会記の文化を作りたいとの思いがある。

ただこの書を読んで、道具立てならば或いは借りてでも組むことは出来るが、花は季節に逆らって咲かせることは出来ないと思った。
温室の花を庭に持ってきて花会記には載せられない。    060614

 

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