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日本庭園のデザイナーたち 「日本庭園人物誌」(吉河功)より書き抜き |
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| 名前 | 人物 | 没年 | 事跡 | |
藤原俊綱 ふじわらのとしつな |
2 |
公卿 |
1094 |
秘伝書「作庭記」。日本庭園史上の恩人。 |
徳大寺実定 とくだいじさねさだ |
2 |
公卿。代々作庭の家柄 |
1191 |
現龍安寺の地に鏡容池 |
竺仙梵遷 じくせんぼんせん |
2 |
臨済宗帰化僧 |
1348 |
元から水墨山水画式庭園造形を伝えた |
善阿弥 ぜんあみ |
2 |
室町時代の作庭家、足利義政の同朋衆 |
1380頃 |
相国寺蔭涼軒。慈照寺庭園。 |
古岳宗亘 こがくそうこう |
2 |
高僧 |
1548 |
枯山水の名園として名高い大仙院庭園(京都) |
子建寿寅 しけんじゅいん |
2 |
禅僧、西芳寺住職 |
1581 |
妙心寺霊雲院庭園-室町時代の典型的作風。 |
千利休 せんのりきゅう |
2 |
茶人 |
1591 |
侘草庵の露地 |
加藤清正 かとうきよまさ |
2 |
熊本城主 |
1611 |
京都勧持院庭園-枯山水。「古今茶道全書」に 江戸邸の庭の図面が残る。 |
織田有楽 おだうらく |
2 |
大茶人、信長の弟 |
1621 |
建仁寺の名席「如庵」 |
松花堂昭乗 しょうかどうしょうじょう |
2 |
文化人。豊臣秀次の子。 光悦、遠州、丈山と親交 |
1639 |
松花堂 |
小堀遠州・政一 こぼりえんしゅう |
2 |
大茶人、幕府普請奉行 |
1647 |
二条城庭園、金地院庭園、仙洞御所庭園、 大徳寺孤蓬庵庭園・・ |
上田宗箇 うえだそうこ |
2 |
武士で茶人。 |
1650 |
粉河寺庭園(和歌山)。縮景園(広島)。 |
金森宗和 かなもりそうわ |
2 |
武将、茶人 |
1656 |
鹿苑寺夕佳亭の露地。大徳寺真珠庵の庭玉軒。 東京国立博物館の六窓庵。 |
石川丈山 いしかわじょうざん |
2 |
江戸初期文化人 |
1672 |
比叡山詩仙堂、東本願寺渉成園庭園 |
片桐貞昌 かたぎりさだまさ |
2 |
大茶人、石州流開祖 |
1673 |
奈良慈光院庭園。茶室「不昧室」 |
堅田(きたむら)幽庵 かただゆうあん |
2 |
茶人、水を汲ませるのに場所を 指定し、違えれば見破った |
1719 |
天然図画亭庭園(大津市) |
東睦和尚 とうぼくおしょう |
2 |
禅僧 |
1828 |
江戸の庭師石龍から庭作りを学び作庭秘伝書「築山染指書」 を書く。東海庵庭園。「百庭図」 |
鍋島岳生・雄男 なべしまがくしょう |
2 |
庭園研究家 |
1969 |
重森三玲の下で全国200の庭園を実測。大徳寺実測調査。 大徳寺内坪庭「東滴壷」 |
重森三玲 しげもりみれい |
2 |
庭園研究家、作庭家 |
1975 |
著作100冊。「日本庭園史図鑑」。作庭百数十庭。 東福寺本坊。瑞峰院。 |
上原敬二 うえはらけいじ |
2 |
造園教育者。 |
1981 |
「造園学汎論」ほか東京高等造園学校(現農大)創立。 日本造園学会創立。 |
琳賢法師 りんけんほうし |
3 |
石立僧 |
1150頃 |
法金剛院庭園 |
賢庭 けんてい |
3 |
小堀遠州配下の作庭家 |
1640頃 |
石組において天下一の称。金剛輪院庭園(現三宝院・京都)。 南禅寺金地院庭園。 |
山本政春 やまもとまさはる |
3 |
将軍家庭造役 |
1680頃 |
庭造りは山本道勺 |
伊東秀山 いとうしゅうざん |
3 |
甲斐の僧。怪力と健脚。大力をもって 巨石を運んで作庭した |
1743 |
甲斐浄泉寺の移設。慧林寺(塩山市)の改修。 |
植木屋長助 うえきやちょうすけ |
3 |
江戸中期の植木屋 |
1800頃 |
吉宗により江戸城お庭御用に。 |
岩崎清光 いわさきせいこう |
3 |
ほとんど不明 |
1810頃 |
江戸の人でありながら滋賀、兵庫などに作庭あり。 |
小川治兵衛 おがわじへい |
3 |
庭師。職人150人。池泉、流れを 中心として背後の山を借景とする。 |
1933 |
作庭法に努力を重ね、自然主義庭園様式植治流を完成。 京都無鄰庵、平安神宮、住友家、対龍山荘、霊鷲山荘、 光雲寺、円山公園、大阪慶沢園・・ |