黒潮丸のガーデン読書録

 

書名:利休その後━三千家のルーツをたずねて 著者:井ノ部康之 出版社:KKベストセラーズ
発行年月:2002・1 価格:680 頁数:268
読んだ理由:
庭の様式としての<露地>に関心を持ち始めて、茶道の歴史を知りたくなったから
 
読んだ日:03・6  
内容:

利休の死後、どのような経過を経て現在の三千家があるのか、非常に興味深かった。

自分がどこかの流派の弟子とかなら、あまり客観的に歴史を知ることは難しいのだろうが、まったくの門外漢だから興味本位で読むことが出来た。

それにしても利休にしろ織部にしろ遠州にしろ、客をもてなすその1点にかけてとことん考え抜き、結果としてそれぞれの庭の様式を生み出 してしまったのだ。その集中力に感嘆する。

いま自分は、庭造りについてとてもそれほどに考えていない。

 

〜〜〜元気の出る話〜〜〜〜〜〜〜〜〜

利休が切腹させられた後を孫の宗丹が継ぐのだが、やはりまだまだお上への慮りが強
く残り、表立って宗丹を庇護する大名・商人は現れなかった。今の茶道界では、「祖父
の非業の最期が強烈に記憶に残り、生涯権門に近付かなかった。」とか、「利休の
<侘び>の精神をさらに深めた。」とか言っているが、要するに宗丹に金を出してく
れる人がいなかったのである。世に<貧乏宗丹>と言われた。

貧乏がよほどこたえたのか、宗丹は子供たちの身過ぎ世過ぎに大変に心をくだき就職
活動を行った。
長男宗拙━出自からしてなんとなく曖昧で、一家をなさず消える。
次男宗守━塗物屋に養子に出す。
三男宗左━(次男と20歳の年令差がある。母親が違う。)宗丹は宗左に茶の家を継がせるべく修
行を積ませると同時に就職口探しに大変な苦労を重ねる。当時大名にでも抱えてもら
わないと茶だけでは食っていけなかったのである。利休の悲劇から時間もたってなんとか口は見
付かるのだが、折角の就職先が島原の乱に巻き込まれるとか、お家騒動で家禄召し上げになるとか
で2軒まで就職先が潰れ、3軒目にやっと紀州徳川家の茶頭としての職を得るのである。この地位は
徳川の終りまで続く。現在の表千家である。
四男宗室━医者に養子に出す。ところがその医者が死んでしまい、仕方なく家に戻っ
て茶でも習っていたが、宗丹の奔走が実って加賀前田家のお抱えとなる。現在の裏千家である。

さて話は次男宗守のことである。
どういう事情だったのか、57歳の時に養家先を不縁になって戻ってくる。
20歳年下の宗左がすでに跡取りとして決まっていた。さぞかし居心地が悪かったであろう。
しかし茶しかすることはない。
66歳、後妻との間に長男誕生。
71歳になってやっと高松松平家に就職する。
75歳、退職。
そしてそれから官休庵武者小路千家を創流するのである。
表、裏千家は利休を初代とするが、武者小路千家は宗守を初代とする。

どうだろう、諸君。なんとなく元気の出る話ではないか。


 

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